昨日から大雪が続いていますね!
北海道も天気が荒れているようで、井上牧場付近も大雪です。
仔牛ちゃんも埋もれるくらい降っているそうです。
↑雪かきしてもらったようです!
さてさて、部位など具体的な精肉情報は未定ですが、
井上牧場から今月末に1頭出荷予定の牛くんがいるようです。
父ヒデさんのFacebookによりますと、
1375の番号を耳につけたこいつは、
「小さい頃から人懐っこくてかわいいやつなんだ」とのこと。
私の持っている井上牧場画像から探したところ、
やっぱりちょこちょこと写りこんでいました。
私も何度か会ったことのある牛くんです。
そんなにかわいがった牛を、お肉にして食べてしまうなんて、
なんて残酷でかわいそうなことだろう、と思うでしょう。
私もそう思います。
本当は、スーパーで売られているお肉とか、
家畜として育てられている牛たちの写真とか映像を見るだけで、
結構悲しい気持ちになります。
父ヒデさんが自分で、「かわいいやつ」といった牛を、
自分の判断で、屠畜場に送るなんて、と思うと、悲しい気持ちでいっぱいです。
(このブログの下書き中は号泣です!私なんてまだまだ未熟者ですね!)
でも私たちの多くは牛や、豚や、鶏を食べます。
お肉を食べます。
皆ベジタリアンになればいいといえば、たしかにそうなんだけど…
私次女だってベジタリアンになりたいけど…
なんせ、地球にはお肉を食べる動物もたくさんいますし、
その食物連鎖によって地球の自然、秩序が守られているので、
人間が肉を食べることが必ずしもダメなこと、と言う必要はないかな、と思ってます。
お肉を"必要以上にたくさん"食べようとすることは贅沢で不自然でずるいかもしれないけれど、
お肉を食べたいと思うこと自体はごく自然なことなのじゃないかしら。
自分で育てていない、知らない牛の方が簡単に食べられるっていうのも、
気持ちはとってもよくわかるけど、それは自分の気持ちを少しでも楽にするためだけの言い訳です。
どんな牛肉を口にするときだって、そのお肉になった牛はもともと生きていたし、
その牛を育ててくれた人たちがいます。
井上牧場が自分のところでお肉にする牛を育てはじめたのは、ここ何年かの話で、
昔は、父ヒデさんは、「自分で育てた牛はとても食べられない」って思っていたようで、
酪農業だけ、乳しぼりだけしていました。
男の子が生まれたときは、一般的な酪農家と同じく、全て売っていました。
でも、どうやら気持ちが変わったようで、
(年齢を重ねたからでしょうか…笑)
健康に育てられて、お肉としても価値がありそうなブラウンスイスを増やして、
生まれた男の子の牛も何頭か残して、
お肉にするために出荷するまで自分で育てて、
自分で食べて、自分で販売するようになったようです。
牛は機械でもなければ、ただの食糧でもなく、生きている命です。
自分のところで生まれた牛なんだから、
健康で幸せに育ってもらって、
お肉になるまで自分で見届けて、
自分で食べるべきだって思うようになったのかなーと想像します。
お金さえあれば、
スーパーやコンビニ、レストラン、ファーストフード店で、食事をするのは簡単です。
ただ食品を買ったり、メニューを選んでいるだけだとつい忘れてしまいがちですが、
何かを食べるということは、命を頂いていること。
本当は、自分がその食べ物を口にするまでには、
たくさんの命と、そこに関わる人たちがいます。
本当だったら、
自分が生きていくためには、
自分で採取したり狩猟したり育てること。
それから、自分でその命を終わらせる行為が必要です。
誰かが代わりにしてくれているから、
お金で購入することができるということ。
本当は、それはとってもありがたいことなのです。
そんなことを思うと、
実家の家業ながら、
やっぱり一次産業はカッコイイし、
無くせるはずがないお仕事だなあと思います。
生きるということは、
他の誰かの命を「頂く」ことで、
とても、罪深いことで、
とっても、ありがたいことです。
だからって、
かわいそうだからって、
何も食べることができなければ、
私たちは生きていくことができません。
私次女は今現在、井上牧場の仕事に従事してはいませんが、
こうして近しい人が酪農業、畜産業をしていると思うと、
「命を頂いて生きている」という感覚を、
少しは持っていられます。
「このお肉は、あのときのあの牛くんのお肉だ」って、
ちゃんと認識して、
命を頂いてごめんね、
ありがとう、
と思いながら頂くことは、
本当にありがたいです!
今自分自身が生きていること、健康でいられるのは、
それだけたくさんの命を頂いているからということと、
きちんと向き合って生きていきたいものです。
そうしたら、他の人や動物にも、
植物にも自然にも、地球を、
それから自分自身を、
大切にしたいなあって心底思えるのではないかしら。
「牛さん、私たちの都合で命を終わらせてごめんなさい、
お肉になってくれてありがとう、大切に頂きます。」
せめてお肉になるまでの間は、
めいっぱい幸せな気持ちで過ごしてくれていたらいいなあ!